もともと銀座という地名は、江戸幕府がこの地に銀貨の鋳造所を設置したことに由来します。今日に至る街の原型がつくられたのは明治時代。日本に押し寄せた文明開化の波の、受け皿的な役割を果たしながら銀座は大きく発展しました。
小ぶりながらもこだわりのある商店と大型商業施設が共存する、銀座独自のスタイルが生まれたのもこの頃。カフェーをはじめとする飲食店や専門店が人気を博す一方、百貨店の開業も相次ぎ、一層のにぎわいを見せるようになります。また街には“モボ”や“モガ”が闊歩し、“銀ブラ”なる流行語も生み出すなど、知的でエッジの効いたトレンド発信拠点として脚光を浴びました。
この間、1923(大正12)年には関東大震災が発生。さらに戦時中の空襲や戦後の動乱など、街は幾多の困難に直面します。しかし、そのたびに地域の人々が結束。街並みはもちろん、風紀の面にいたるまで細やかに気を配り、上品で洗練された銀座情緒を取り戻してきました。こうした努力に支えられ、街は唯一無二の品格をまとうようになったのです。戦後は、歩行者天国の導入や、世界トップブランドによる旗艦店の開業もあり、本物志向の大人がゆっくりと過ごせる街というイメージがすっかり定着しました。そこにいるだけで特別な気分を味わえる“ハレ感”が、街から失われることはありません。
品格を貫きながら、新しいものを柔軟に取り入れていく。そんなアイデンティティを今の銀座に見て取れます。
参考文献:銀座公式ウェブサイト『GINZA Official 』
時代を超えて紡ぎ上げてきた品格と、最先端のトレンドを銀座独自の感覚で取り入れるフロンティア・スピリット。脈々と受け継がれてきた、そんな“銀座らしさ”に磨きをかけようと、東急プラザ銀座で掲げているのが「Creative Japan~世界は、ここから、おもしろくなる。~」です。
このコンセプトのもと、当施設は、伝統と革新の融合から生まれる新しい文化を創造・発信し、銀座と日本、日本と世界をつなぐゲート的な存在を目指しています。